ゲームは文化だ!「CONTINUEゲーム90年の歴史」展は収穫が多すぎた

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平成30年度夏季特別展 「CONTINUE~“ゲーム”90年の歴史〜」と、同じ施設内で開催される8月26日の上村先生の講演会はぜひとも参加しようと、片道5時間あまりかけて行ってきました。

展示も講演会も非常に素晴らしく、語り始めると長くなりすぎるので個人的にこれは収穫だったと思う部分を重点的にご紹介します。

9月2日が最終日なので今さら紹介してももう見に行けないのですが、ほとんど自分の備忘録として書いておこうと思います。

ちなみに写真は許可を取って撮影、掲載しています。

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展示物の何が良いかって、箱ですよ箱!

一挙に画像を貼りましたが、私が特に感慨深く眺めてきたのは昔のゲームやおもちゃが入っていた、箱です。

おもちゃ屋さんやデパートなどの店頭で、如何に目を引くか、パッケージという限られたメディアから楽しさや面白さ、遊び方などをいかにして子どもたちに伝えるかが重要だった箱も、子どもたちの手に渡ればもうそれはゴミでしかないわけです。

最初は大事に箱にしまっても、いつの間にかおもちゃ本体は出しっぱなしになり、片付けるにしても押入れケースのようなものに押し込まれ、出番の無くなった箱や説明書、付属品は処分される運命にあるわけですし、それで良いのです。

だからこそ、古いおもちゃの箱や付属品は今となっては本体そのものよりも希少な存在となってしまい、おっさんになってから改めて眺めてみると胸のトキメキがどうにも止まらなくなるわけです。

何でも鑑定団を見ていても、箱があるのとないのとでは価値が全然違うわけですが、おもちゃといえどもそれは同じこと。

朝から晩まで眺めていたかったのですが、さすがに迷惑ですから許可を取って撮影してきました。

いやあ、箱は良いですよ、箱は。

ファミコンコンプリートガイド
by カエレバ

懐かしの電子ゲーム大博覧会
by カエレバ

任天堂の伝説のアーケード筐体「VSシステム」と30年ぶりに対面

アーケードゲーム筐体もいくつか展示されていましたが、特に思い入れのあるものとしてこの「任天堂 VSシステム」が最高でしたね。

土日になると家族で行った、近所のジャスコ。
その2階のアミューズメントコーナーに鎮座していたのをありありと思い出します。

最初はドンキーコングとかアイスクライマーなどの任天堂のゲームがセットされていたのですが、いつのまにかアルゴスの戦士とか、特にVSシステムに関係のない、他社のゲームに入れ替わっていたりしました。

別名レッドテントと呼ばれているこの筐体、非常に貴重なのですが、探せば実際に遊べるお店もまだあるとか。

確か80キロくらいの重さがあるものを、よくぞ運んできたな、というのも非常に興味深かったです。

誰もお金を間違って投入することもないだろうに、コイン投入口に貼ってあるテープがシュールです。

(Switch用) 対面型アーケードスタンド (レッド) – Switch
by カエレバ

上村雅之先生の講演会にて、質問コーナーが熱かった

展示会場にある上村雅之先生の講演会の案内は、やや日に焼けてしまっていましたが講演の内容は素晴らしいものでした。

300人ほど入れるというホールはほぼ満員。みんなどんだけファミコンが好きなんだ、と。

知らない方のために上村雅之先生とは何を成した方かということを端的に言うと、ファミコンとスーパーファミコンを開発した人、といっておけば十分でしょう。

ただ、講演会にはファミコンをリアルタイムに体験した世代だけでなく、大学生くらいの若者から、小学生くらいから赤ちゃんまでの親子連れもいましたから今の最新ゲームにまでつながるファミコンという存在の大きさが伺えます。

講演の内容は、タイトルが「おもちゃも変わるのか?アナログからデジタルへ」ということで、人類の有史以来のおもちゃと人との関係や、今後どうなっていくのかという非常に示唆に富んだ内容で、貴重な写真や動画を交えて行われました。

講演会は撮影、録音は不可でしたので内容の掲載ができないのですが、最後の質問コーナーが熱かったのでその部分をご紹介したいと思います。

私がこれまでの人生の中で最大の集中力を発揮して書き留めたメモによるものなのでニュアンスの違いなどはあるでしょうが、ゲーム全般や任天堂、上村雅之先生に興味のある方にとっては面白いのではないかと思います。

記載に聞き間違いなどがあるかもしれませんが、私の書き留めたメモのとおり記載しておきたいと思います。事実と異なる部分などがあるかもしれませんので、必要に応じて検証してみてください。

質問コーナーの質問と回答

Q1
ファミコンの開発で冒険したことは何か

A1
値段(価格)をどうやって抑えるか。
あくまでおもちゃの延長なので、子供の使用に耐える耐久性が重要

どんなゲームを作ったら喜んでもらえるのか。少なくとも当時アーケードでヒットしていたドンキーコングは移植しようと。
他には、囲碁や将棋、私の夢の実現としては野球があった。

ファミコンをテレビで遊ぶ上で、テレビを管理しているのは子供ではなく大人だった。はたしてその管理者がファミコンをテレビに繋いでくれるのか?
しかしそれは杞憂で、すっと抵抗なく受け入れてもらえた。
エポック社のテレビテニスの広告写真を見ると、テレビが中心にあり、男女の姉妹がテレビテニスに興じ、その様子をお父さん、お母さんが見守るという状況が描かれているが、私が目指したのもまさにそれ。
(これは講演会のスライドで紹介されていた)

パーソナルコンピュータの時代となりつつあったが、あくまで遊び、戯れを生み出したかった。
コントローラーもコストを考えると1個にしようと思っていたが、赤字覚悟で2個にした。結果的にはそれでよかった。

Q2
任天堂入社前のシャープ在籍時の液晶技術を、ゲームアンドウォッチに活かしたのは上村さんなのか

A2
それは横井軍平さんである。
当時カシオとシャープの電卓戦争がすごかった。シャープが「デンクロ」、すなわち電卓&クロックを作っていた。カシオの真似ではあるが。

そのICを使ってみようとなったので、「ゲームアンドウォッチ」になった。
電卓のセグメントの活用を、数字からキャラクターに変えるだけで作れた。

そのゲームアンドウォッチだが、電卓にも見えないし、せめて時計だけでもつけたおこうと開発された。
社内ではこんなもの売れるかいな、と考えられていたがフタを開けてみれば皆さんご存知のとおり。
だいたい、社内で評判の悪いものはよく売れた。

ウォッチがメインであるはずだったが、ゲームの得点を競う部分が評判となった。
私がシャープから来たせいで、シャープの技術者と任天堂の技術者の橋渡しはできたのではないかと思う。

Q3
ドンキーコングの主人公はマリオの原型なのか。

A3
当時は名前はなく、おっちゃんであった。
なぜかキングコング「みたいな」敵に向かっていくというゲーム。

訴えられるので、決してキングコングとは言えなかった(笑)
ただ、そういうノリは当時許される風潮があり、結果としてドンキーコングはうまくいったと言える。
そういうのも遊びの文化と言えるだろう。

Q4
デジタルとアナログの遊びの上での融合について。実体のあるものは残り続けるのか、VRのようにデジタルの世界にすべて飲み込まれてしまうのか、将来はどんな方向へ向かうだろうか。

A4
人間のこれまでの歴史を考えると、映像の歴史は短い。手遊びをしてきた時間は遥かに長い。

今は映像の世界を楽しんではいるが、実世界が消えてなくなるわけではないから、実体のあるおもちゃが消えてなくならないのではと考えている。

遊ぶ相手がロボットになるかもしれないが、すべてVRになることはないのではないか。
その点はソニーがうまいことをやっている。

Q5
VRの世界で触覚の可視化が実現された場合、それさえもおもちゃと呼びうるのか。

A5
触覚があるものであれば、それはおもちゃたりうるだろう。

とくに日本人の感覚として触る、手で遊ぶというのがおもちゃのもととなっている。
英語の「TOY」を引用しても、日本人の感覚のおもちゃとはかけ離れている。

おもちゃの語源を調べていくと「おもちて」と呼ばれていた時代もあり、「手」がフィーチャーされている。
ニオイ、風、雰囲気を体感できる、そういうVRもいずれでてくるだろう。

Q6
プレイステーションはスーパーファミコンの開発時点では、スーパーファミコンのオプションという位置づけだったのか。

A6
昨年久夛良木さんとセミナーを開催した。その内容の範囲内であればお話できる。
ビジネス上の問題で、なかなか詳細はおおっぴらにはできない。

久夛良木さんは大のゲーム好きで、ソニーでゲームを作りたいという話がずっとあった。
スーパーファミコンのサウンドエンジンはソニー製で、開発当時から繋がりもあった。
今後のゲームのあり方などを議論したこともあった。

ソニーとの共同開発がなぜ決裂してしまったか、その根本的な部分を知る人間はもはやおらず、私も核心は知らない。
任天堂サイドも、ソニーサイドも同じように驚いたことは覚えている。

お互い違う道を選んだが、ソニーはビデオゲームにエンターテインメントを取り込んだのは素晴らしい功績だ。
任天堂はインタラクティブの方向に進んだ。この流れはこれからも変わらないだろう。

Q7
横井軍平さんや中川克也さんにまつわるエピソードがあれば教えて欲しい

A7
あの世代はおもちゃ世代。ビデオゲームなんてなかったから。
おもちゃでできなかったことを、新しい技術でできないかと考えていった。

少ない容量でどれだけ面白くするかを考えていた時代で、今のような無限とも言える容量なんてなかった。
開発の方向性自体が異なっていた。

その両方を経験してきたあなた達がどうしていくかも問われている。
この講演でも、おもちゃの大切さを伝えたかった。
インターネットの世界はバラ色の未来があると言いたいところだが、難しい部分も多々ある。
大切なポイントを見失わないようにして欲しい。

Q8
ファミコンとスーパーファミコンの開発においての違い、苦労をお聞きしたい

A8
ファミコン開発当時はゲームアンドウォッチの開発が花形の部署で、技術者は全部そちらに取られており、孤独な開発環境だった。
ほぼ一人で各メーカーをまわり、情報を集め、偶然あった社内のドンキーコングの技術を使って、という感じだった。

どういう回路を作ればどうなるかはわかっていたが、それを作ってくれる会社がなかった。その会社を探すのが大変だった。
しかもパーソナルコンピュータではなく、あくまでおもちゃとして開発していたのでそのあたりもメーカーを説得するのに苦労した。

リコーと開発するに当たり、リコーは海外での市場についても詳しく、興味を持ってくれた。
スーパーファミコンの時には、ファミコン開発当時の部下のほうが偉くなっていて、言うことを聞いてくれなくなってきた。

コスト管理には苦労させられた。
当時のビデオデッキはフロントローディングが当たり前で、スーパーファミコンもそのような仕組みを導入するという意見もあった。
ただ、コストが跳ね上がるというのもわかっていた。
そんな見てくれは関係ない。中身がスーパー、外ファミコンでいいのだ、と。それがスーパーファミコンだ。

売れれば、中身のLSIはコストがどんどん下がる。逆に、外観の装置はコストが下がらない。
中身をスーパーにしておくことが大事で、テレビ画面に表示される内容がスーパーならいいのだと。
ただ、海外に出ていったファミコンはフロントローディング風のデザインだった。

責任者というのは、誰も決めたがらないものを決めなければならず、大変だったがやりがいはあった。
当時から、任天堂社内では「おもちゃ」としてゲームを開発していこうという社風があった。

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上記質問の回答を補完するネット上の情報もリンクしておきます。いろいろ、勉強になりますよ。それと、上村雅之先生の著書は外せませんね。

[blogcard url=”https://loderun.blog.so-net.ne.jp/2010-07-15″]
「ファミコンは自信なかった」――ファミコンの生みの親・上村雅之氏が語った”遊びの原点”

[blogcard url=”http://bunshun.jp/articles/-/7838″]
発売35周年“ファミコンの父”上村雅之とは一体何者なのか?

[blogcard url=”https://www.nintendo.co.jp/n10/interview/mario25th/vol2/index.html”]
社長が訊く スーパーマリオ25周年

[blogcard url=”http://news.denfaminicogamer.jp/kikakuthetower/171205″]
「スーファミ」上村雅之氏×「プレステ」久夛良木健氏──“ゲーム機戦争”両雄の歴史的証言から識る90年代プラットフォームビジネスの真髄【セミナーレポート】

[blogcard url=”https://www.jstage.jst.go.jp/article/sicejl1962/29/6/29_6_551/_article/-char/ja/”]
ファミコンメディア その技術背景について

ファミコンとその時代
by カエレバ

番外編:まさに奇跡!上村雅之先生にサインを頂く

みなさんは、奇跡って信じますか?私はまさに奇跡としか言いようのない出来事を体験しました!!

上の展示会を見に行った際に、会場へ向かうエレベーターに乗ったところあろうことか上村雅之先生と民俗資料館のスタッフさんが乗り込んできまして、これはまたとないチャンスだということで、決死の覚悟でお声掛けして、たまたま持っていた(笑)四角ボタンのファミコンコントローラーにサインを頂くことが出来たんです!!

しかも、上村雅之先生とあまり関係のない、任天堂ロクヨンのウチワにまで!!

「どちらからいらしたの?」と聞いてくださったので答えたら、「そんなに遠くから。わざわざありがとうね」とまで言ってくださいました。

最後は一緒に写真まで撮ってもらって、上村雅之先生と民俗資料館のスタッフさんには本当にご迷惑をお掛けしました。

もちろん、嫌な顔ひとつせず、最初から最後まで親切にご対応いただいたことは声を大にしてお伝えしておきます。

サイン入りコントローラーは、下の写真のように私のコレクション棚に「ガサッ」と収まりました。もっとキレイに飾る方法を考えないといけないですね。

ニンテンドークラシックミニ ダブルパック
by カエレバ

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